東亜プランのアーケードゲーム16タイトルだったかをせっせと現代に蘇らせている人たちが日本国外の北欧の人達だってのを目にしまして、なかなかさみしい話だなと言う感じですね
でも例えば自動車なんかでも日本で生まれたわけじゃなくて、でも日本は自動車大国になったってことからオリジナルと発展は違う場所で行われることもあるんだなってことなのかもしれないな
日本人にとっては珍しくもなんともなくて別にどうでもいいシューティングゲームとか北欧の人たちからみると欲しくてしかたがないものなのかもしれなくて、シューティングゲームのためなら苦労もいとわないってことなのかね